こんばんは
色々言いたいことを書いたらスッキリしたのでおそらく今まで通りアメブロで書いて行くと思います。
お騒がせしてしまいすみませんでした。
今日は娘が小学校に入って以来2回目のおもらしをしてしまったようです。しかも2回。
前までなら
娘はトイレも自立できないのなら支援学校に行ったほうが良いかもしれない…
と落ち込んだりしていたかもしれない。
でもいまは支援学級にいられないなら支援学級にいられる道を探してみようと思います。
教育委員会の視察が入り
保育所等訪問支援などを利用してもなお小学校に通うことが難しいなら私が毎日娘に付き添おうと思います。
なんでそんなに支援学級に通わせたいかというと。
インクルーシブ教育を実現したい
とかではなく
自分の目の届く範囲で娘の成長を見守りたいからが大きいかも。
成長に焦点は最近当てていないかもしれない。
成長しなくてもできれば地域の小学校に通わせたい。
もちろんそれは私の考えであってそれが正しいとも、誰かに勧めるつもりもありません。
強いて言うならインクルーシブを訴えるつもりもなく、娘は小学校に通っていていい子だと感じています。
先日トイレで1年生の女の子に
「ひまりちゃんでしょ。知ってるよ同じ1年生だもん」
と言われてすごく嬉しかったんですよね。
障害児、健常児の壁が子供にはないのを感じます。
それは今の小学校だからこそ、かもしれないけど
娘は障害を持ってはいるけど、普通の子供だと私は思っていたいです。
この記事を書くきっかけになった記事は
小学校にいられない=人間じゃない
と言った意味合いのことを悲しい気持ちのまま書いた記事でした。
小学校にいられない子が人間じゃないと言いたいわけじゃなくて
私は娘は「障害を持っているだけ」の普通の子だと思いたくても
娘は普通の子の範囲には含まれない。
社会は重い障害者と普通の人をしっかり分けているのを感じてやりきれない
という思いを伝えたかったのだと思います
話が上手くまとまらなくてすみません。
今日のむすめの様子を少し。
夫が書いた絵(上手い笑)を見ながら体の部位を学んだり(大体わかっているはずですが
しょうがつ のひらがなはおそらく夫
「3時の時計はどんな形?」
と言われて3時の絵
「9時の時計は?」
と言われて9時の絵をかけていました
おもらしの件が気がかりなのもあり、
金曜日は放デイとバイトはやめて娘を早めに迎えに行ってあげるようにしよう思います