同じ「発達障害」のニュースを見ていても、知的障害を伴うか伴わないかで全く悩みが違うんだな、と感じることがある。
贅沢な悩み
知的障害を伴わない発達障害者の悩みは「知的障害児」を育てる身からすると贅沢な悩みに感じることがある。
私は自分自身が知的障害を伴わない発達障害者だと思っていますが(未診断です)、
娘を産んで、育てて自分の悩みは贅沢な悩みだと感じるようになり、悩むことはなくなりました。
自分の悩みは「個性」の範囲、娘の困りごとは「障害」そんな線引きをしたのだと思います。
どちらが辛いのか
知的障害を伴わない発達障害者の悩みは共感できる部分も多いです。「人間関係がうまく行かない」、「仕事が続かない」などは特に。
だけど「ずっと普通級で過ごせたんでしょ」、「大学行けたんでしょ」、「就職できたんでしょ」、「結婚できたんでしょ」って思ってしまう。全部娘が叶えられないことを叶えてきたんだからいいんじゃない?そんな風に思ってしまいます。
自分自身死にたくなるほど悩んだことがあるから決して「贅沢な悩み」でないことは分かっているのに、知的障害児の親としての価値観をどうしても優先してしまうんですよね。
ただし、知的障害を伴わない発達障害者の場合は、国からほとんど支援を受けることができないのも事実です(私が無知でしたらすみません)。
もしかしたら支援級への転籍が難しい場合などもあるのかもしれません。
知的に問題がないからこそ悩む気持ちもわかります。自分は「普通じゃない」という劣等感を感じながら、努力してそれでも普通になれないまま生きていく辛さもわかります。
知的障害者は一方で「自分の置かれた状態」を知らずに幸せを感じて生きているかもしれません。
どちらが辛いというものでも、どちらが楽というものでもないのだと思います。
自分の子供のことだけを考える
知的障害を伴わない発達障害者や、知的障害を持っていても軽度なかたに対してどうしても「嫉妬」してしまうことがあります。昔は定型児が羨ましかったんですけどね。かけ離れすぎているから比べなくなったのかもしれません。
色々考えていて思うことは「悩みは人それぞれ」という当たり前の結論です。
私は考え方が極端なので、「自分は人とは違っていたけど恵まれていた」という頭になってしまっているけど、私には私の悩みがあったはずだということも忘れずにいようと思います。
そして、娘がどのように生きていけたら「幸せ」か「楽しい」かそれを第一に考えて生きていきたいです。