こんばんは!
ご近所さんを母が連れてきて嬉しそうに会いに行く娘。
だけど「こんにちは」くらいしか言えないし、最近直射日光に当たる場所では常に眩しそうにしていて可愛い表情とはいえない。なんだかちょっと悲しくなる自分もいます。
以前よりは思わなくなったけどもっと話せるのにな、もっと可愛いのに…とか思ってしまう自分が嫌になる。
家族だけでいれば昔よりは問題は少なくなったと思えるけど人に会うとあまり昔と変わらない気がする。
家族や支援者のかたとコミュニケーションを取れれば良いとか、出来ることはたくさんあるって私がわかっていればいいと昔よりは思えるようになったから大きく落ち込むことはなくなりましたが
子供が障害を持っているって辛いな、とたまに打ちひしがれる。
今も家にある非常ベルを鳴らしたりして(そこまで大きな音は鳴らないけど)明るい気持ちで生きていたとしてもふとため息をつきたくなることはよくあります。
今日はパンツで過ごしており、おもらしなしで過ごせていましたが、夕方に叱られてわざとと思われる失禁、あとは一緒にゴロゴロしてるときにも失禁がありました。
発達外来の先生に電話で先日相談しましたがしばらく様子を見ましょう、でしたね。ある意味予想通りではあるけど。
どんな時に失禁してしまうのかは把握したいと思っています。オムツだから良いやと思っている感もあるかもしれない。
おもらし問題がなくなれば家族で過ごす分にはあまり問題を感じないのはあるけど、さっきみたいに突発的に非常ベル鳴らしたりもありますからね…。
大変といえば大変。
大変じゃないのか、大変だと思わないようにしてるのか
どちらもあるんだろうけどなるべく明るい方向に進んでいくためならどちらでも良いかも。
大変なこと、凹むことありましたが今日は娘に洗濯物を畳むのを手伝ってくれて
タオル、肌着を畳んでもらいましたがとても上手に畳めていました。
余った時間にやったスマイルゼミでは時計の問題がだいぶできるようになっていた。
朝も様子を書きましたが成長はたくさん感じます。それと同じよりかは少ないかもしれないけど悲しい気持ちになるときもある。
娘の障害が改善すれば良いな
ブログを始めてから1年生の終わりくらいまではそんな気持ちでずっと頑張っていて(頑張っていたのは娘でしょう?と突っ込まれそうですが私も頑張ってはいました
グループホームとB型作業所で働き出してからは
ある意味持って生まれた障害程度が全てだということ、障害程度が重くても金銭的にはむしろ苦労することはないこと、障害程度が軽い人が必ずしも恵まれているかというと一概にはそうとは言えないこと
あらゆる現実を知り、娘の障害を改善させようという思いはだいぶ薄れました。
たぶん自分も娘にとってもそれは良いことだったと思います。でもある意味では目標がなくなったようにも感じられて辛くなる時がある。
成長しても成長しなくてもきっと娘は変わらない
という思い。
親の育て方で変わることなんてあまりないように感じられる。
殴って育てられた人は人を殴る子になるし
パンだけしか与えられなかった人は腸の働きが鈍く老後も苦しめられたりはします。
だから必要最低限の生活を保証するとか
できれば施設に入ったあとも定期的に衣服を管理してあげるとかは大事だと思いますが
普通に近いと感じるくらい軽度の人が話せなくなるとか
頭を壁に打ち付けてしまう状態の人が突然理路整然と話出したりすることはほぼありえないことだと思う。
それを実感してこのままで良いんだという気持ちとこのままか…という気持ちで揺れている。