親が色々思うこと

障害者家族として爪痕を残したい

親が色々思うこと

こんばんは

今年の抱負

「家族3人で楽しく過ごす」

がつまらなすぎると思い(笑)、自分の目標を考えていました。

ちょっと思っていたのがちょっとまた語弊がある書き方かもしれませんが爪痕を残す

です。

自分の元に障害を持った子が産まれたのは運命だったとか言うつもりはないですが

そこそこ珍しい経験をさせていただいてるのは事実なので

どうせならその貴重な経験を生かして、出来ることをやってみたい、という気持ちは結構前から持っています。

自治体ごとに支援学級のあり方などが違う話を何回か書いてきましたが

その違いの理由の一つとして、障害児家族が声をあげたかあげないかの違いがあるかもしれないと思ったんです。

こちらの記事は国内で最もインクルーシブ教育が実践されていると言っても過言ではない大阪で、昨年文部科学省が出した「支援学級の児童・生徒は授業時数の半分以上を支援学級で学ぶこと」という通知から、今まで通りの教育を行うことが難しくなるかもしれないことが主題になっている記事ですが

教室から席がなくなるのはイヤ──「ともに学び、ともに育つ」大阪府独自のインクルーシブ教育、揺らぐ足元(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
「今年の場合、全ての学級に入り込みをしています。そのために『どの支援担が、どの時間に、どの子の教室に入るか』という細かいパズルのような時間割を組んでいます。その時間割は一度組んだらおしまいというので

主題よりも私が気になったのは、なぜ大阪では50年も前からインクルーシブ教育に近い教育がなされてきたのだろう?ということです。 

 

記事によると

​「豊中でもかつて養護学級(現在の支援学級)は拠点校方式で、設置校に障害種別ごとに集められ、バスや電車で越境通学していた。でも、そこで親が『なんでうちの子は、目の前の学校行かれへんの?』と声を上げた。それに気づいた先生たちも『親だけに任せておいてもええんか』と運動を始めた。その結果、1978年にできあがったのが『豊中市障害児教育基本方針』です。2016年には、障害に対する考え方が時代とともに変化してきたことに対応するため、改定版も制定されました。これがある限り、通常学級での学びを保障する豊中の教育は崩れない」

障害を持った子を育てる親たちが声を上げたのだ!と感銘を受けました。それだけが理由ではないにせよ、障害を持った子を育てる親の気持ちは当事者でしか分からないのだから思いを伝えることが大事なのではないでしょうか。

こちらの記事もそうですが、自分たちが住む自治体でも実際に「先人」に感謝をした経験があり、よりそう感じました。

私たちが住む自治体、というか全国的にも保育所等訪問支援はまたまだ知名度が低いですし、利用もされていない状態です。

もし娘の支援をお願いできるようになれば区で初の試みになるのだとか。

なんでも権利を主張するのはどうなのか、と思われるのも当然かもしれないけど

もしこのように知られていない制度なのが利用できるのが「当たり前」になれば権利を主張しすぎと言われることもなくなるはずです。

私たちの時代では難しいかもしれないことを少しずつ「当たり前」にしていくほんのわずかなお手伝いをしていくことが私の一つの夢です。

全国的に、とかは全然考えられないけど自分が住む自治体くらいならもしかしたら何かしらの爪痕を残すことくらいはできる気がする。


と、長々と書いていましたが

娘がこんな時間まで寝ません

昨日遅い時間に寝たから睡眠リズムが崩れてしまったかな…

昼間のように「特に今困りごとがない」とか書いた矢先にこうなるんだよな。と苦笑い

何も大変じゃないなら療育手帳なんていらないですもんね。

それでもまだ楽になってはいるのだけど明日は車で家に帰るのに予定通りの時間に起きられない。

しかもわざと2回連続おもらし(量は少なくまだマシ

もうしんどくて

今だけの気持ちで言うならば娘は施設に預けたい。

もしくは自分が消えたい。

明日には復活します


たくさん褒めたいこともあったんですけどね…

雪だるまとピカチュウらしい笑

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