娘が最も成長したと思われる年中時代のことを書いておこうと思います。
まず、療育園に通い始めたことで、娘はきっと安心して園生活を送れるようになったのではないかと思います。
幼稚園はどちらかと言うと勉強志向で、朝から英語の朝会とかしてた。その上、年少の部屋は狭い中に25人がすし詰め状態。
聴覚過敏がその頃からあったと思われる娘は入り口のカーペットのところで耳を押さえて固まっていたみたい。歌を聴くのも、歌うのも好きだったのに幼稚園に入り歌わなくなった。ほんとにかわいそうなことをしました。
ビックリしたのは娘の他にもクラスに4人くらい、学年に10人は発達障害の疑いのあるお子さんがいました。みんなどこに行くのかなー。
話が脱線しましたが、年中になり、何をするでも褒められる療育園の環境で娘はのびのびと育っていきました。
が、勉強面や会話面はあまり育ちませんでしたね。おそらく療育園の環境では。
あとはこれは私の思い込みや、娘の自我が芽生えた結果だとは思いますが、療育園では何をしても褒められる一方、悪いこと(世間一般的に)をしても強く叱られることは少ないです。
そのためお友達が使いたいおもちゃを強奪したり、気に入らないことがあると床に転がって抵抗したり、興味がなければ何もしていない様子を見て、なんとなくそれをマネしているのではないかと思ってしまうようになりました。
いや、これはほんとに思い込みかもしれないのですが、聞き分けは幼稚園にいたときのほうが良かったように思えるためついついそれも一つの可能性として考えてしまいますね。
自分より少し成長が早いお友達がいる環境の方が娘は伸びていく子なのではないかと感じました。
もちろん療育園に入ったのは間違いだったとは思ってません。
いただきます、ごちそうさまがきちんと言えるようになり、いただきますの前はご飯を待てるようにもなりました。クラスメイトの名前を覚えたりも幼稚園ではなかなかなかったかもしれないし、いろんな行事を気兼ねなく、楽しんで参加できました。
先生に対してここまで感謝したり、尊敬したのは生まれて初めてですし、
何より私の「障害児」に対する差別はほぼなくなったと思います(別に元からないですが娘は普通であってほしいとかは思っていました、あとは単純に知らないから恐れるみたいな感情もありました)。
障害を持っていても一人一人可愛いです。
療育園に行ってなかったらもしかしたら「支援級」に進むのさえガッカリしていたかもしれません。
ただ同様に療育園に一度行ってしまうとその居心地の良さからなかなか抜け出せなくなる一面もあるように思います。いや抜け出す必要はないのですが、もし地域の学校に行かせたい気持ちがあるのならやっぱり一度幼稚園を経験するのもいいかもしれないと思いました。あくまで個人的な意見です(差別に慣れるというと聞こえは悪いですが、多少何かしら言われた経験などがあったほうが耐性がつくし、恐怖心が和らぐ)。
療育園に入るまえに怒涛の勢いで診断、療育手帳取得を経験しましたが、それまでは普通の子に近づきたいと考えていましたが、娘のペースで成長できる部分は成長していけばいいという考えにシフトできたのはすごく良いことだったと思います。
障害は受容しているのかな。当然時間がたった今の方が受容していますが、当時は結婚のCM見て号泣したりしてましたね。
娘が結婚できないかもしれないことがすごくショックでした。
あ…色々思い出してきました。私は周囲には淡々と娘が自閉症で知的障害だって語ってました。大丈夫明るく生きていきまーす
みたいなスタンスで。
でも定型発達児で○大行ってもひきこもりになったらそちらの方が国からの支援ももらえないし不幸、とかほんとにろくでもないことばかり考えてましたね
うつ病とかだったときに比べて病んでるとかではなかったと思います。社会に対する呪いみたいなダークな感情。