きっと頑張っていた
2歳から3歳くらいまでの様子を書いていきます。私は仕事に夢中になり、あまり娘と関われていませんでした。…と思っていたけどその時その時で可愛がっていたし、娘の成長に良さそうなことをしてきたんだと思う。結果が伴わなかっただけで。
2歳の頃、区役所から保健師さんが家庭訪問に来ました。よく考えたら何で来ることになったのか覚えていません。乳児の時に全戸訪問があったのは覚えていますが、2歳の頃来たのは家だけだったのかもしれない。区役所の子育て支援課に子供の発達の遅れは相談していたので、そういう家庭だけを対象に訪問されていたのかもしれませんね。
訪問では簡単な質問をしてもらったり、積み木を積んだり…。娘はまだ名前も答えられなかったと思う。
「一度療育センターで、診察していただいた方がいいかもしれません」
ハッキリと発達の遅れを専門家から指摘されたのはこの時が初めてでした。ショックとかよりはやっと次に進めたか…という印象が強かった。
初めての発達外来
療育センターでの診察は拍子抜けの一言。いま見ていただいている先生もこの方なんですが、頭の中で自分が想像していたような診察も先生とのやりとりも全くなかった。
具体的には脳波の検査や血液検査、発達テストを受けた上で、「この子はこういう傾向があり、ここが苦手なんです。だからこういう風な対応の仕方をすれば改善していくかもしれませんね。」みたいなものを期待していた。
実際はおもちゃで遊び娘の様子を見て、
「確かにちょっと言葉が遅れているかもしれませんが、様子を見て行きましょう。半年後にまた来てください」
せっかく次に進めると思っていたけれど何も得られるものはなかった、と落胆しました。
保育園の先生の一言に号泣
明らかに他の子より発達が遅れていると実感するだけの日々。
保育園の先生に、娘のできないことを報告されるのが苦痛でした。だからと言って嫌な対応をされたことはなかったと思います。娘を可愛がってくれていたと思う。
「〇〇(名字)さん、ひまりちゃんは昼休みも寝てくれないし、お友達にも興味がないようです。あの…発達の相談などはされていますか?」
ある日親切でそう言ってくれた言葉が私の心を貫いて、娘を自転車の後ろに乗せて、泣きながら帰りました。
責められているような気がしたのです。娘が邪魔だと言われた気がした。しかも、こちらはもう発達外来に行っていて、それでも何も対応してくれなかったというのにこれ以上私に何をしろというのだろう。
今ならその先生が娘のことを考えてくれていたって分かるんですけどね…。ボロボロの精神状態では受け入れることができなかった。
娘に対する夫の対応
夫は娘が生まれて、最初に会った時は戸惑いの感情もあったらしいです。私と同じで別に子供をいるだけで可愛いと感じる人種じゃないのもありますが、父親になった自覚が芽生えるのに時間がかかったと後から聞きました。娘がハイハイするようになって表情が豊かになった時あたりからは特にずっと溺愛している印象です。
発達の遅れが気になる、と夫に相談しても「確かに遅れているかもしれない」という認識はあったそうですが、「診断も下りないし大丈夫」という気持ちが強かったようです。
私が悩みに悩んでいる時にいつでも楽観的な夫の存在は有難かったですし、時にプレッシャーでした。娘が何をしても深刻に捉えたり、怒ったりするのは私だけだったので、ますます自分はダメな母親だと落ち込んでしまうときもありました。
一緒にこの育児が辛いと分かり合える相手が欲しかったのかもしれません。孤独を感じていました。