おはようございます?
また夜中に記事を書いています。
昨日結婚記念日ディナーで夫とどんな話をしたか書いていきたいと思います。
三年後は田舎暮らし?
夫と話すのは娘の話か資産運用の話。
前半は資産運用の話が多かったかな。
娘が小学校を卒業する頃に夫は脱サラするかもしれないのですが、本当にそれを可能にしていくために今の副業の基盤をもっとしっかり固めていきたいとか。
私も副業を手伝うよ、とか。
途中話していたのは「ビジネスパートナーみたいになってきたね笑」と。
「家庭は小さな会社みたいなものだもんね」
それはまさにその通りだと思う。
夫との出会いは19歳、夫は20歳のとき。お互い人生の半分以上を相手と過ごしています。
「もう自分のようなものだよ」
夫はそう言っていましたね。
なんとなく恋愛関係という感じではなくなったのが寂しい気もするのですが、その言葉は嬉しかったです。
あと夫は一年でいいから田舎で暮らしたいって言っていましたね。
私は娘に対する支援が充実しているならどこでも良いかもしれない、と伝えました。学校はどうなのか?とか学校を考えるなら例えば1年と言わず中学3年間住んだりを目指したいねなんて話もしていましたね。
冷静に考えると例え金融資産が3000万になったとしても夫が会社を辞めるのって結構怖いなとは思いますね。
生活水準をどの程度まで下げても幸福でいられるか?あるいは自分が満足できる生活水準を満たすだけの環境とはどんな環境か?必要な生活費は?など来年度からの3年間は考えることが山積みですね。
お互いお金に対する考え方が結構似ているところは運命の出会いだったのかもしれません。どちらかがすごい浪費家とか、投資に消極的だったら今の生活にはなってないだろうなと思う。
子育てに対する未練
夫と似ていて良かったなと感じるのは娘の障害を個性ととらえているところです。
夫がそう思う理由は
「障害は迫害の理由にならないこと」
と言っていました。今の時代は特に人々のイデオロギーが「多様性を認めよう」という方向に向いているので社会的に迫害が許されないのはもちろんあるけど
夫が言いたいのは障害があることで人の価値や尊厳は変わらないということだと思う。
ちょっとまた掘り下げて聞いてみようとは思いますが。
私が障害が個性だと思うのは娘が普通になって欲しいとあまり思わないからです。
正確にはそう思うようになった、なのだけど。
自閉症の特効薬ができたとしても我が家は娘に飲ませないと思います。
自閉症で知的障害の娘が私たちの娘であり、それが急になくなったとき娘は娘のままかが不安なんですよね。
不思議なもので娘が娘のまま成長していくことは望んでいるんですよね。
でも自閉症でも知的障害でも良いと思っている。
起きる時間が近づいてきたので少し寝ます。
おやすみなさい〜