生育歴

娘について(年少終わり 診断)

年少2月にKIDS(乳幼児発達スケール)で知的障害の範囲内という結果が出てからはとにかく娘に対して積極的に活動するようになりました。

 

 

それまでも普通の母親なりには頑張っていたと思います。いろんなおもちゃや絵本を買ってあげたり、1歳からこどもちゃれんじを始めたりというくらいなら。

 

 

だけど障害児と認められたわけじゃないのに療育受けさせるのは抵抗があったのかな。

 

 

認めなければ普通の子になる気がしていたのかも。

 

 

だけど医者によりはっきり発達に遅れがあることを判断してもらえたことで、

 

 

「そっち側」のフィールドで頑張っていこうと思えるようになれました。

 

 

年少2月に早速療育手帳の申請。

 

 

当てはまるかわかりませんでしたが、そのときの娘の発達状況を知りたかったし。

 

 

とんとん拍子に児童相談所で発達検査。

 

 

本人にしてみればはじめての発達検査だったし、私もちょうど娘の問題行動に悩まされていたのを正直に書いたりしてしまったのでもしかしたら数値が低く出た可能性はあると思いますが、結果は

 

 

IQ38

 

 

中度知的障害を伴う自閉症と診断されました。

 

 

今から思えばほぼ重度(35以下が重度)なんだな、とびっくりする気持ちもあるけど

 

 

当時は何を考えていたのかな

 

 

手帳がもらえた

 

 

くらいにしか思ってなかったのかもな。

 

 

障害の度合いが重かったため

 

 

障害者福祉手当(月額5000円)

 

 

特別児童扶養手当(月額35000円ほど)

 

 

もいただけることになりました。

 

 

幼稚園をそのまま続けるかもずっと悩んでいました。

 

 

「普通の子」として入園したもので、ママ友との関係がだんだん辛くなってきていました。

 

 

娘は聴覚過敏を発症していたのか教室の入り口のマットに座り込んで過ごすことが多かったみたい。

 

 

支援級への就学を考えている身からすると

 

 

幼稚園に居続けられるならいたほうが良かったのだと思います。

 

 

だけど当時は娘が…というよりは自分が辛くて幼稚園から療育園に年中から転園することに決めました。

 

 

娘の栄養療法のためにまず母だけ飲みはじめました。

 

 

 
ついに実年齢のドリルを買えましたクラッカー

 

 

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